浄圓寺について

侍休山 法得院 浄圓寺について

(略縁起.文政11年 江戸時代の書記より)

親鸞聖人の弟子、性信上人(俗性 常陸の国 鹿島神司の長男 悪五良)の開基。
親鸞聖人について、京都に行き越後への流刑の時も付き添う。
その後、常陸の国へ。
次に、花見ヶ丘へ着く(現代の国分寺)。
そして、瀬陸(現在の野木)次に古河(紺屋町)に移る。
古河公方の家臣、佐々木(父 式部大輔、戦上で討死)を名乗る。
父の討死を機に、侍休山法得院浄圓寺とする。
その後、今の地を当時の城主(小笠原九衛門)より受け取り現在に至る。